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広島高等裁判所岡山支部 昭和54年(ネ)26号 判決

控訴人 川上和夫

被控訴人 岡山県

代理人 滝本嶺男 宇都宮猛 長安正司 ほか五名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事  実〈省略〉

理由

一  控訴人が昭和三二年岡山市岡一〇三番地(現表示岡山市岡町一七番一三号、以下控訴人土地という。)に木造瓦葺店舗兼居宅(一階七七・〇五平方メートル、二階三六・三六平方メートル、以下控訴人家屋という。)を建築して居住していたところ、訴外(原審相被告)五嶋が昭和三六年控訴人土地の南隣である岡山市岡字無所一〇二番地の四(現表示岡山市岡町一七番一五号、以下本件土地という。)に本件建物を建築したこと、本件建物については建築工事着手前に建築基準法六条所定の確認申請書を建築主事に提出してその確認を受ける義務が建築主に課せられているところ、五嶋がこれらの手続を経ることなく工事に着手して本件建物を完成させたこと(建築基準法六条違反)、及び五嶋が法定の建ぺい率を超過して本件建物を建築したこと(建築基準法五三条違反)は当事者間に争いがない。

そして<証拠略>によれば、五嶋は昭和三三年頃岡山市岡字無所一〇二番地の三の土地(九四・九四平方メートル、二八・七二坪)上に建物を建築していたが、同三六年同地とその隣地である本件土地(六六・二四平方メートル、二〇・〇四坪)上に本件建物を建築した結果、右既存建物の面積と合せた建築面積は一四三・一平方メートルとなつたこと、右土地は当時住居地域であり、かつ角地であつたから、建ぺい率を遵守した場合の建築面積は最大九一・八三平方メートル〔(94.94+66.24-30)×7/10=91.83〕となるので、本件建物の建築面積はこれを五一・二七平方メートル超過し、これを比率で表わせば三九パーセント(143.1/161.19-30=10.9/10 10.9/10-7/10=3.9/10)になることが認められる。また<証拠略>によれば、控訴人家屋は控訴人土地と本件土地との境界線から約六〇センチメートル北に右境界線とほぼ平行に建てられていたところ、五嶋が右境界線から約五〇センチメートル南に控訴人家屋とほぼ平行に本件建物を建築し、右境界線上にまで達していた屋根の軒には本件建物建築当時から昭和四四年二月に至るまで雨樋が設けられず、また敷地である本件土地に雨水の排水施設も設けられていなかつた(本件土地と控訴人土地との境界線上に排水施設のなかつたことは当事者間に争いがない。)ため、雨天の際には本件建物の屋根から雨水が勢いよく控訴人家屋の屋根、窓、及び敷居などに注瀉し、時には雨水が控訴人敷地に流れこむことがあつたことが認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定事実によれば、五嶋が本件建物を建築するについては、先にのべた建築基準法六条及び五三条に違反する点があつたほか、同法一九条三項、民法二一八条にもそれぞれ違反する点のあつたことが認められる。

二  <証拠略>によれば次の事実が認められる。

1  前認定のように控訴人家屋は控訴人土地と本件土地との境界から約六〇センチメートル北に右境界線とほぼ平行に建築されていたが、当時は本件建物の敷地である本件土地が空地であつたため、控訴人家屋の日照は豊かで通風も十分であつた。

2  ところが昭和三四年頃五嶋は本件土地において自動車の塗装作業を始め、その吹付作業による悪臭や火災の危険性により近隣住民との間で争いが生じ、控訴人や本件土地の西隣りに居住する金光真次が法務局や消防署に陳情して右作業を停止させたことがあつた。そこで五嶋は本件土地に作業場を建築しようと計画し、昭和三六年一月に本件建物の建築に着手した。

3  これを知つた控訴人からその頃、法規に従つた取締りの要請を受けた被控訴人県の土木部建築課指導審査係長の訴外林豊は本件建物の建築につき確認申請がなされていないことを調査の上、その日のうちに同課課員岡清とともに建築現場に赴いたところ、五嶋は不在であつたが、本件土地には既にコンクリートが打たれ、柱の基礎が作られていたので、林は、本件建物については建築確認申請がされていないので建築工事をすることができない旨記載した名刺を現場にいた五嶋の使用人に渡すとともに使用人に対し翌日五嶋の出頭を求める旨の伝言を依頼して帰庁した。

4  林はその後も五嶋に対し電話で出頭を促し、確認申請をするよう伝えたが、五嶋は出頭せず、鉄骨を組み立てるなどして本件建物の建築工事を続行した。右事実を控訴人の通報により知つた林と岡は再び現地に赴いたところ、組立てられつつあつた鉄骨の状況から一見して建ぺい率に違反していることが明らかであつたが、五嶋が現場にいなかつたので、作業員に対し無確認建築物であることと建ぺい率違反であることを理由に口頭で工事の停止を命じ(工事の停止を命じたことは当事者間に争いがない。)て帰庁した。

5  五嶋はその後も確認申請をせず、建築課へ出頭もしなかつたが、林は通常ならば口頭の停止命令が守られ、建築基準法に従つて建築が行なわれるものと考えてその後は本件建物を建築基準法に従つて建築させるための措置を特にとらないでいたところ、五嶋はその後土曜、日曜を利用して建築を強行し、同年四月頃本件建物を完成させた。

6  本件建物は、前認定のように、控訴人土地と本件土地との境界線より約五〇センチメートル南に控訴人家屋と平行に建築されたため、両家屋の壁と壁との間隔は一・一メートル前後となり、更に本件建物の出窓と控訴人家屋の戸袋や庇が相互に張り出していることによつて両家屋はほとんど相接する状態になり、控訴人家屋の一階六畳の間二部屋(居間と寝室)と炊事場は朝夕の一時間を除いてはほとんど日照が遮断されるに至り、また通風も著しく害された。

更に本件建物には、前認定のように、雨樋が設けられていなかつたことによつて雨天には本件建物の屋根から雨水が控訴人家屋の屋根、窓及び敷居などに注瀉し、このため控訴人家屋の畳、敷居などが腐敗したほか、前認定のように本件土地には雨水の排水施設がなかつたので、雨水が控訴人敷地に流れこむこともあつた。

7  控訴人は右被害を被控訴人県の土木部建築課に訴えて適切な措置をとるよう求めたが、同課においては、当時他に処理すべき案件が多かつたうえに控訴人の被害を、同人と五嶋との間で個人的に解決すべき相隣関係の問題として考えていたので、なんらの措置もとらなかつた。そこで控訴人は昭和四一年九月一六日に岡山県建築審査会に対し行政庁の不作為に関する審査請求をしたところ、同審査会は建築基準法九条一項の是正措置に関する規定は、「近隣居住者のごとき第三者に対して、その措置を求める申立権をとくに附与したものとは考えられない」として同年一〇月一四日右審査請求を却下した。しかし、同審査会の意向を受けて斡旋に入つた被控訴人県の担当者が五嶋に対し、本件建物からの雨水が控訴人家屋にかからない方法を講ずることにより控訴人と五嶋との紛争の円満解決をはかつたらどうかとその意向を打診したところ、五嶋から「控訴人家屋の庇を境界線をこえて本件建物の外壁まで延長し、その先端に雨樋をつけて排水する。」旨の提案があり、控訴人もこれに賛成したが、延長された庇の下の五嶋所有地を控訴人に無償で使用させるのかどうかについて両者間に意見の一致を見ることができなかつたので、右提案も実を結ぶに至らなかつた。なお、被控訴人県の担当者は口頭で五嶋に対し適正な建ぺい率にするため玄関部分を取りこわすよう行政指導をしたが、五嶋は言を左右にしてこれに従わなかつた。

以上の事実が認められ、<証拠略>のうち右認定に反する部分は前掲証拠に対比し措信し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

三1  ところで建築基準法(昭和四五年法一〇九号による改正前のもの、以下同じ。)は、その一条において「建築物の敷地、構造、設備及び用途に関する最低の基準を定めて、国民の生命、健康及び財産の保護を図り、もつて公共の福祉の増進に資することを目的とする。」と規定されていることから明らかなように、建築物の規制を通じて国民全体の利益を保護することを目的としたものであり、国民個人個人の利益の保護を直接目的としたものではない。勿論国民全体の利益といつても結局は国民個人個人の利益の集積に外ならないから、前者の利益を保護することが即ち後者の利益の保護につながることは否定し得ない。然し制度としての同法の意義は建築物の規制を通じて国全体における住宅環境を整備するにあり、同規制により近隣居住者の権利を直接保護することを意図したものではないと解するのが相当である。従つて同法九条の規定も、特定行政庁が右のような建物の存在によつて被害ないし不利益を受けている者に対しその救済ないし是正をする法律上の義務を直接負うことを定めたものではなく、特定行政庁がみずからの判断においてとるべき一般的な措置を定めたにすぎないものというべきである。それ故、仮に岡山県知事が同法六条及び五三条違反(控訴人は同法一九条三項違反も主張するが、同項はあくまで当該建物の敷地についての安全及び衛生に関する規定であるから、同項違反それ自体と控訴人主張のような損害とは直接の関係はない。)の本件建物を放置したとしても、それによつて直ちに控訴人の権利を侵害したことにはならないというべきである。

2  しかしながら建築基準法九条は、右にのべたところからすれば、特定行政庁の一般的作為義務を規定したものと解すべきであるから、当該行政庁が同条に定める作為に出ないこと(不作為)が違法であり、これによつて第三者に損害を与えたと認められるとき、当該行政庁の不作為は不法行為を構成すると解するのが相当である。ところで一定の行為をするかしないかが法令上行政庁の裁量に委ねられているとき、その不作為は違法であるといえないのが原則であるが、当該不作為が諸般の事情に照らし合理的な裁量の範囲を著しく逸脱していると認められるとき、それは違法性を帯びるものというべきである。そして特定行政庁が建築基準法に違反する建築物に対し同法九条に定める是正措置命令を発し、これに従わない者に対し行政代執行法による強制措置をとるか否かは当該行政庁の合理的な裁量に委ねられているものと解される。そこで本件において岡山県知事が右の措置をとらなかつたことが諸般の事情に照らし、果して右裁量の範囲を著しく逸脱すると認められるかどうかについて、更に検討を試みることにする。

(一)  本件建物の工事段階における措置について

前記認定のとおり、被控訴人建築課指導審査係長林豊は控訴人の訴えにより本件建物の工事着手を知るや、直ちに確認申請の有無を調査の上、同課員岡清とともに現地に赴き、無確認建築物であるから建築工事はできない旨を五嶋の使用人に伝え、五嶋に建築課への出頭を要請し、更にその後五嶋が建築工事を続行していることを知るや、再び現地に赴いて無確認建築物であること、建ぺい率違反であることを理由として、作業員に対し口頭で工事の停止を命じ、その間も電話で五嶋の出頭を促していたのであるから、岡山県知事としては一応適切な措置をとつたものというべきであり、従つて措置義務に違反する不作為があつたとは言い難い。もつとも、五嶋は右工事停止命令を無視して、その後土曜から日曜にかけて工事を強行し、本件建物を完成してしまつたのであるから、場合により五嶋ないし作業員に対する告発も可能であつたと考えられるが、諸般の状況から見て、これをしなかつたことが直ちに措置義務違反につながるものとは断定し難い。

(二)  本件建物完成後の措置について

前記認定によれば、被控訴人県は控訴人より本件建物による被害についてその実情を訴えられたが、控訴人と五嶋との間で解決すべき相隣関係の問題であるとして特に措置を講ずることなく、岡山県建築審査会の意向を受けて控訴人と五嶋との和解の斡旋を試みたほかは五嶋に対し適正な建ぺい率にするため玄関部分をとりこわすよう行政指導をしたに止まるのであり、岡山県知事が本件建物ないし建ぺい率超過部分について除却命令を発しなかつたこと、また行政代執行の措置をとらなかつたことは当事者間に争いがない。

そこでまず除却命令についてであるが、この命令はそれ自体において強制力はなく(現行法九条一二項の規定は当時存在しなかつた。)、その実現は代執行の手続にまたねばならないのであるから、相手方が除却命令に従おうとしない場合、同命令を発しても結局無意味に終るほかない。本件において五嶋が停止命令を無視して本件建物を完成したことからすれば、同人が除却命令に従うとは到底考えられないから、代執行に訴えない限り、除却の目的は達せられないことになる。そうであるとすれば、結局本件は代執行の手続によつて建物の除却を計るべき事案に当るかどうかを考察すれば足り、これが否定されれば除却命令を発しなかつたことにも違法はなかつたことに帰着する。ところで行政代執行法二条によると、代執行は義務者の不履行があることによつて直ちにすることができるものではなく、「他の手段によつてその履行を確保することが困難であり、かつ、その不履行を放置することが著しく公益に反すると認められる」という要件が存するときにかぎり、これをすることができるものである。これを建築基準法違反の建築物についてみると、それを放置することが例えば防火、防災上極めて危険であると認められるような場合を指し、本件のように隣家の日照、通風、衛生を害するにすぎないという場合については右の要件に該当すると見ることは困難である。しかも控訴人の日照、通風の被害については、前記認定のとおり、控訴人において控訴人家屋を建築するに当り、控訴人所有地の南側に日照、通風を得るに十分な空地を設けず、五嶋所有の本件土地が空地であつたのを幸い、南側一ぱいに境界よりわずか約六〇センチメートル離したのみで建築したことが一つの原因をなしていること、従つて五嶋において仮に建ぺい率を守つたとしても、北側一杯に建築する限り被害は生ずるものであること、また控訴人家屋への浸水及び控訴人家屋の一部の腐敗等、本件建物に雨樋が設けられていないことから生ずる被害については相隣関係として私人間で解決すべき問題というべきであること(排水施設が設けられていないことから生じたとされている控訴人の被害については、第一回検証の結果によれば、本件土地と控訴人土地との境界付近に控訴人の設置した排水溝があるのであるから、必ずしもその原因が明らかとはいえない。)を考慮すれば、本件について代執行をしなかつたことが岡山県知事の合理的裁量の範囲を著しく逸脱するものということは困難である。

そして前記認定したところから窺われる五嶋の行為の悪質性を勘案しても、前記結論を左右するものではないというべきである。

四  以上説示したところによると、岡山県知事が本件建物について除却命令を発したうえ代執行をするという措置をとらなかつたことを以て、不作為の違法があるということを得ないから、同違法があることを前提とする控訴人の本訴請求は理由がないものとして棄却を免れず、これと同旨の原判決は相当である。

よつて本件控訴はこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法九五条本文、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 福間佐昭 喜多村治雄 下江一成)

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